私としては、啓蒙する意志はまったくなく、わけわかんない文章だけど、でもクッキは素晴らしいらしい、というのが伝わればいいと思います。私はとくに絵が好きなわけではないけれど、ピカソは好きだ。門外漢の私にも、その凄さが分かるから。ところが、ピカソのような本物の天才は1世紀にひとりしかいないらしい。
色使いがすばらしいマティスも大好きだが、ピカソに比べると、ラクをしていて「ずるい」という気がする。マティスは、ピカソのように、人類や社会全体の苦しみを背負ってそれを作品として昇華したり、絵画によって新しい価値観を提示したりはしない。ただ好きなものを好きなように描いている。そこが私は好きなのだが、ピカソと比べると、やはり格がちがうことは認めなければならない。

かといって、絵を描くのにただ苦しめばいいというものでもないだろう。不遜な言い方を敢えてするなら、たとえばムンクの絵は、私のように近代人の苦悩と無縁の人間にとっては、近代人っていろいろ大変だったんですねといった感慨しかもたらさない。私が知りたいのは、次の時代の新しい価値観(つまり「新たなピカソ」)であり、それが無理だとすれば、せめてその前触れを知らせる「現代のムンク」だ。救世主キリストを待つ私に、その誕生を告げてくれる予言者ヨハネが現れるのはいつのことなのか。私は首を長くして待っていた。

そして、クッキが現れたと言うわけだ。

いまのところ、クッキが現代のピカソだと言い切る自信は私にはない。しかし、少なくとも現代のムンクであることは間違いないと思う。ムンクが近代人の無意識の不安をかぎりなく克明にキャンバスにとどめたように、クッキもまた、現代の都市に生きる私たちの無意識の不安をその肩に背負わされている。実際、彼は、たいへんつらい思いをしながら創造活動をしているらしい。しかし、そんなことは重要ではない。私にとっては、彼の苦しみより、その作品を彩る、マティスにも匹敵する豊かな色彩や、ファッションや映像の世界にも共通する同時代人ならではの浮遊感とでもいうべきものの方がはるかに大事だ。

幸いなことに彼はまだ若い。この先、かれがどこまで行けるか。彼自身が「現代のピカソ」になれるかどうかを私は見守りたい。すでに予言者は現れたのだ。

とまあこういう感じではないでしょうか。

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